2014年9月19日金曜日

地層を科学する 特別編 六ヶ所村 最終回

夏に行って来ました私の六ヶ所村の旅、夏休みの研究も今回の記事で一区切りとなります。よろしくお願いします。


1974年11月、英国核燃料公社は、日本の原発をもつ9電力会社の連合体を相手に、再処理の予備折衝を始めた。交渉では、1960年代における日本からの使用済み燃料受け入れの時期が話し合われていた。原発を所有する日本の電力会社は、原発の運転を継続するため、使用済み燃料を各原発サイトからどうにかして搬出する必要に迫られていた。
日本国内に使用済み燃料の受け入れ先はなかったし、また国内の受け入れ先を真剣に検討してもいなかった。なぜなら使用済み燃料の受け入れ先の選定問題を提起することで、原発への国民的関心が高まれば、反原発団体を勢いづかせ、原発の存在自体に影を落としかねなかった。実際、原発から使用済み燃料の国内他所への移動がなされたのは、1998年10月、青森県六ヶ所村の処理工場への搬入が初めてだった。
1974年当時、日本の電力会社にとって、使用済み燃料を原発サイトから搬出可能なら、その理由は何でもよかった。できるだけ多くのひとに気づかれ騒がれることなく穏便に、金と引き換えに使用済み燃料を外国に送り出してしまうのが最善の策だった。英国核燃料公社から請求された再処理費用は巨額だったが、その費用を電気料金に上乗せして徴収できるシステムは日本にすでにあったし、使用済み核燃料の処分の問題をもちだして国内で処分場探しなどを始めれば政治的問題も絡んでかなり厄介なことになる。
電力会社は「トイレなきマンション」と原発が揶揄されるのは聞きたくもなかった。
むろん再処理の後に日本に返還されるプルトニウムに経済価値はなく、むしろそれは物理的にも外交的にも処置に困る厄介な代物でしかなかった。再処理で生み出される高レベル放射性廃棄物も、ガラス固化体にされて日本に返還される。この時期、イギリスと日本、両国の原子力政策や外交、環境問題に関わる重要な取り決めが秘密裏になされていた。
こうした事態は、核産業では少しも珍しくないが、長い期間、多くの政治家や市民の関知しないことだった。

※核燃料サイクルの闇より





海外から運ばれて来ます。


わたしたちは、貴宝山のような気高さを持ち、心身ともに健全な村民になります・・・。


六ヶ所村の旅、如何でしたでしょうか?まだまだ調べれば沢山のことがありますが、行って解ったことは最初にも書いたけど、何も解りませんでした。ホントにただ行って見て来ただけなんですよね。でも原発賛成の人も反対の人もどちらとも言えないって人も共通して考えないといけないことは、今も核のゴミ処分が決まってないということです。
稼働すれば間違いなく増え続ける。原発を止めても残ったゴミをなんとかしなくてはいけない。何十年も前に先送りして、誤摩化してきた問題が福島の事故で改めて原発というものがクローズアップされてしまった。間違いなく六ヶ所村に運ばれてるゴミもいっぱいになります。
まずはゴミを増やさないようにする。ゴミを出さないようにする。これにつきます。

先日、鹿児島原発(川内原発)が安全というお墨付きをもらいました。稼働に向けて一直線です。
ゴミの議論はされておりません。
安全の話、議論をする時にこそ「たら、れば」を考えないといけないと思うんですけどね
もし地震が起きたら、もし火山が噴火したら、・・・安全神話はなくなったわけですから

もしもまた事故が起こったら・・・。

終わり












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